幻想の√5: なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのかオンラインブックダウンロード
幻想の√5: なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのか
本, 中谷 友香
幻想の√5: なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのか は 中谷 友香 によって作成されました 各コピー1980で販売されました. Le livre publié par ベストセラーズ (2019/4/30). Il contient 353ページ pages et classé dans le genre genre. Ce livre a une bonne réponse du lecteur, il a la cote 3.5 des lecteurs 8. Inscrivez-vous maintenant pour accéder à des milliers de livres disponibles pour téléchargement gratuit. L'inscription était gratuite.
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幻想の√5: なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのかオンラインブックダウンロード - 内容紹介 マスコミが報道しなかった!できなかった!オウム死刑囚たちの肉声と素顔が明らかになる。なぜオウム真理教事件は引き起こされたのか?いままで語られなかった事件の真相と再発防止のための第一級資料が公開。「なぜ私はオウム受刑者の身元引受け人になったのか」死刑執行された林泰男、早川紀代秀ほか死刑囚たち、また無期懲役としていまも収監されている中村昇受刑者(オウム真理教最古参メンバーのひとり)と、著者は15年にわたり面会や書簡を通して交流を続けてきた。そこで見てきた死刑囚たちや受刑者の素顔とはどんなものだったのか? マスコミにこれまで一度も公開されることのなかった彼らの肉声とは何だったのか? かつて仲間だった死刑囚たちが死刑執行されたいま、中村受刑者は何を思うのか? 戦後最大の悲惨な宗教事件として名を残すオウム真理教事件。あのようなことはもう二度と起こらないと言えるか? 事件当時、そして死刑執行直前まで彼らが考えてきた再発防止とは? 死刑囚また受刑者の肉声からは、これまで公開されてこなかった加害者たちの素顔と、事件を起こすまでの彼らの心理状態が赤裸々に語られている。「オウム真理教事件」の真相に迫った第一級資料として世に問うノンフィクション。 内容(「BOOK」データベースより) 林泰男死刑囚、早川紀代秀死刑囚、中村昇受刑者との書簡と対話を初公開。マスコミが報道しなかったオウム真理教事件・元幹部たちの素顔と再発防止を願った証言。彼らはいったいどんな人間だったのか?無期懲役の受刑者はいま何を思うのか? 商品の説明をすべて表示する幻想の√5: なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのかを読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
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表紙は竜をモチーフとしたダークな和風ファンタジーのデザインで、著者の自伝のような内容で始まる。読み進めるにしたがって、僕がオウム事件本に求めていた視点であることが分かった。今までは当事者、ジャーナリスト、ノンフィクション作家といった人々の文章がほとんどだった。だから同じような目線、同じような論点に収まりがちだった。この作品は弁護士を目指して勉強を始めた著者が、ダライ・ラマの書籍からチベット仏教に興味を持ち、サークルからのつながりでオウム事件の元死刑囚と文通や面会をするようになったことが発端となっている。序盤で著者の過去が語られるのは、著者自身の心の傷や闇をあえて語ることで、自身を高いところに置かないためだったのだ。最初から元死刑囚たちの人間性を否定して始まる一般的なマスコミの文章とは異なっていて、むしろ彼らを自分の近くに見ている。否定からは何も生まれないから、読者がこの作品から得るものは大きいと思う。僕は元オウムだが、彼らが逮捕されてから一度も面会に行かなかった。オウムをやめて普通の生活に戻っていた僕は、警察にまだオウムと関係があると疑われたくなかったからだ。でも彼らのことを忘れたわけではない。僕にとってオウムは青春そのものだったし、人生で一番ウマのあう仲間だった。でも彼らが麻原の指示で犯した罪を受け入れることはできない。僕たちの代わりに著者が彼らと面会して、彼らを支え更生に尽くしてくれたようだ。心から感謝している。麻原が逮捕されてから、オウム内部では求心力も秩序も失われていった。土地も建物も破産管財人に委ねられ、このまま上九一色村に居続けることはできなかった。僕は友人と一緒に幹部たちが使っていた部屋に入って、いずれ処分されてしまうものを物色したりした。第五サティアンの三階、西側の階段の踊り場からすぐ入れるところに、林泰男と杉本が使っていた狭い部屋があった。中は2つに分かれていて、高そうなオーディオ機器がいくつも積み重なっていた。この部屋からは柔らかい外壁の発泡コンクリートを突き破って奇妙なものが出ていた。青いビニールで被覆された針金で出来た、よくある安物のハンガーだ。これは言わば偽装されたアンテナで、彼らはここで交代で電話の盗聴などをしていたに違いない。僕にとってここにある高価な機器類は猫に小判で、乾電池だけが意味のあるものだった。富士フィルム製のリチウム単三電池を片手に掴める分だけポケットに放り込んだ。その最後の二本はパッケージのまま僕のうちの戸棚にまだある。何となく使わないでいるうちに記念品のようになってしまった。彼らは自分たちがしていることが良いことか悪いことか考えることもなく、ただグルの指示の達成が修行のための試練だからというだけでやり続けていた。一方で気心の知れたもの同士ではよく愚痴を言ったらしい。彼らはあそこでどんな話をしていたのだろう。本書では文通と面会を重ねた感想として林泰男を気さくで温厚、オープンな人柄。死刑でもなければ、そのまま海の家でサザエでも焼いていそうな人と書いている。彼を少しでも知っている人なら、きっと笑ってうなずくところだ。盗聴をさせられたのは、初期の弟子で電気工事士の資格を持っていたのが、たまたま彼だけだったからだろうと思う。中盤以降は受刑者となり、刑務所にいる中村昇とのインタビューとなる。彼はサマナ番号が6番で最古参と言ってよく、オウムの変遷を見てきた人物である。僕にとっては電話越しに初めて会話をしたサマナでもある。その時オウムが宗教を名乗り始めたことを知った。本当に落胆した。もしその時入会費をもって最寄りの駅まで行っていなければ、入会を見送っていたかもしれない。僕にとっての分岐点だった。彼は東京本部で事務をおもに担当していて、眠るときも椅子に座ったままだと聞いて感心したことを思い出す。井上などと比較して、自分が中心になって何かをするタイプではなく、無期懲役となった各事件でも従属的な立場であったはずだ。彼の話の中で事件後もオウムの後継団体に居続けている人たちについて、その方が現実や世間から守られていて楽なのだと言っている。僕も実感を持って言えるが、自分にとってはオウムを辞めてからが本当の修行だったと思う。このことから教団そのものが麻原の幻想のための世界であり、サマナたちを現実と真実から守る仕組みだったことを感じた。還俗後、オウムを忘れるために仕事に打ち込んでいるうちはまだ良かった。この時点でも実際は真実を無視していることと変わりがないからだ。自分で事件について調べ、オウムとは何だったのか自分の中で解決しようとし始めると、苦しくて堪らなかった。教団にいたころは、グルを意識して日々生活するようにと言われていたが、それはなかなかできないことだった。ところが教団を出て事件について考えていると、一日中麻原こと松本智津夫について、何者だったのか考えずにはいられなかった。今までの人生が「無駄だった」では済まなくなった。「むしろ害だった」と考えることは、マハームドラーによって自分を責めるよう教育されてきた者にとって、追い打ちをかけられるようなものだった。本書にも何人も自殺した元サマナがいるらしいと書かれている。その気持ちも分からないではない。実行犯でない僕たちでさえ苦しいのに、元死刑囚の中には死刑執行を、苦しみの人生からの解放と考える人もいるに違いないと思っていた。自分たちが人殺しをしたのだから、そうなるのは当然の報いなのかもしれない。しかし弟子達は個人的にやりたかったわけではないし、利害関係があったわけでもない。なぜ生きているのか、素朴な出家生活を営みながら考えようと思っていたのに、なぜこのようなことになってしまったのだろう。中村の発言には僕のいままでのレビューと共通している部分が多く、自分の意見が間違っていなかったと安心した。古くからのオウムを知る幹部と、幹部からは遠かった僕の意見とが一致することは、オウムという組織の構造や性格を見る上では意味のあることだと思う。カルトの再来を予防するためにとして、ヴィパッサナー的な知恵を促すべきとしているけれど、もう少し一般的な言葉で説明した方が良いと思う。読者から見て、そう前置きされれば、重要な総括を述べるのだろうと思うからだ。本書の中ではおかしいと思った時に立ち止まって考えられなかったとか、感情や感受性の麻痺が語られている。そのような観察力ということなのだろうか。またカルトの特徴として教祖に依存させることにも触れている。死や地獄の恐怖を強調し、その解決策として「解脱させる能力がある」自らをアピールしたのが麻原だった。冷静に考えれば、恐怖を植え付けられることも、何かに依存させられることも、人の幸福から逆行することだ。それに気づけばオウムに入らずに済んだはずだ。できるだけ多くの人に読んで欲しいと思う。読みやすく感心するところは多いはずだ。報道されない加害者の別の一面を見ることが出来る。この本で彼らの罪が軽くなるわけではないけれど、オウムに出家した人も実行犯たちも自分の身近にいる誰か、であることに気づいて欲しい。著者は「イメージと現実のギャップ」がオウム事件のキーワードだとしている。これはオウム内部でも、マスコミ報道でも見られたことだ。本書の最も大きな意義はそのギャップを真実の方へ近づけることにあるように感じた。サマナの特徴として、知識は豊富でも実体験がなく、ある意味世間知らずな人が多かったように思う。年配者は経験が豊富でもそれを身に着けないというか、社会経験を固定観念として厭うようなところがあったのではないか。麻原の活動は学研「ムー」のライバル誌だった「トワイライトゾーン」の連載からスタートしている。オカルトに興味を持つ大人たちとはそのような、ありきたりな現実を好まず、非現実を好むタイプではないかと思う。しかも麻原は「解脱」という誰も経験したことのない所に土俵を構えたわけで、麻原以外全員がイメージで集った組織だったと言える。誰にも経験がなかったために、麻原の妄想による架空の世界、架空の教えでも通用したのだ。ただ麻原の話術で自身が解脱したと信じさせることができたというだけで、またヨーガによる神秘体験という後押しもあって、地下鉄サリン事件に至るまでの組織が運営できたということだろう。太平洋戦争の反省から、若者たちを宗教から無菌状態に置き続けてしまったために、オウムを見て何か新鮮な印象を受けてしまった僕たちは、麻原を信じて指示に従ってしまった。その中で麻原と共に去った実行犯たち12名は、たまたま理系で学歴が良かったか、他の人より先に麻原と出会ってしまっただけで、本来は犯罪とはまるで縁のなさそうな人たちだった。
によって 中谷 友香
5つ星のうち (8 人の読者)
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